ユリウス・カエサルの豆知識30選
新しいことを覚えたら、クイズで力試し。
英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
全部知ってた?クイズで証明しよう。
30問のクイズに挑戦紀元前49年、カエサルが軍を率いて越え、内戦の発端となった川は?
渡ったのは1月10日とされる。対するポンペイウスは即時の軍団編成ができず、イタリア半島から逃れて軍備を整えることにした。
エジプトの内紛でカエサルが味方した、プトレマイオス13世の姉は?
カエサルは当初、姉弟の仲介を模索していた。ナイルの戦いで弟が敗死すると、プトレマイオス14世が共同でファラオの地位に就いた。
紀元前44年から、カエサルの名にちなんで呼ばれるようになった月は?
カエサルの誕生日は祝日にもなった。後の権力者たちも月に自分の名を付けようとしたが、人名が月の名として残ったのは2例だけである。
雄渾で簡潔な文体が高く評価されている、カエサルの著作は?
カエサルには『内乱記』という著作もある。『反カト論』と『類推論』は散逸してしまった。
カエサルの名が語源となった、ドイツ語で皇帝を表す言葉は?
ロシア語の「ツァーリ」も同じ語源を持つ。「カエサル」の名は帝政初期に称号の一つとなり、帝政後期には副帝の称号となった。
カエサルが暗殺された紀元前44年の日付は?
前夜に悪夢を見た妻は元老院への出席を避けるよう伝え、カエサルも一度は見合わせることを検討していた。
カエサルがポンペイウスとの均衡のため三頭政治に引き入れた人物は?
民衆の支持、軍事力、経済力をそれぞれ持つ三者が手を組み、当時強大な政治力を持っていた元老院に対抗できる勢力を形成した。
カエサルが紀元前55年と54年の2度にわたり遠征した地は?
同じ紀元前55年にはゲルマニアにも侵攻してゲルマニア人の進出を退け、ライン川防衛線の端緒を築いている。
紀元前44年2月、カエサルが権力集中のために就任した官職は?
この権力集中の仕組みは元首政として後継者に引き継がれ、帝政ローマ誕生の礎ともなった。
カエサルが存命中のローマ人として初めて自身の顔を刻ませたものは?
この栄誉は、以後の最高権力者たちにも慣習として受け継がれた。カエサルの自宅は神殿のような装いとなり、彼を信仰する祭司団も創設された。
頭髪の薄さに悩んだカエサルが、常に被る特権を得て喜んだものは?
内戦を終結させた業績を認められて得た特権だった。カエサルは背が高く引き締まった体をしていたが、頭髪のことを政敵から攻撃されていた。
紀元前45年に運用が始まったユリウス暦は、1年を平均何日とする?
カエサルにより実施された太陽暦で、4年に1回、2月に閏日を加える。キリスト教の多くの宗派が採用し、ヨーロッパを中心に広く使用された。
カエサルが追悼演説で、ユリウス氏族はその子孫だと述べた女神は?
氏族はアエネアスの息子アスカニウスに由来するとされた。カエサルの母方は、王政ローマ第4代の王アンクス・マルキウスに連なる家柄だという。
暗殺されたカエサルの体に残った刺し傷はいくつとされる?
致命傷となったのは2つ目の傷だけだったという。事件は元老院の開会前に、劇場に隣接する列柱廊で起こったとされる。
紀元前52年にカエサルと戦ったアルウェルニ族の族長は?
このときはほとんどのガリアの部族が敵対したが、カエサルはアレシアの戦いで勝利し、ガリア全土をローマ属州とした。
紀元前48年8月、カエサルが兵力で劣りながら勝利を収めた戦いの地は?
敗れたポンペイウスは逃亡先で上陸しようとした際、プトレマイオス13世の側近の計略により、迎えの船の上で殺害された。
カエサルに招かれたエジプト女王がローマへ伴った、息子とされる人物は?
紀元前47年生まれの庶子とされる。古代の記録は父親について意見が分かれているが、現代の学者のほとんどがカエサルを父親と考えている。
カエサルは自分を捕らえた海賊たちを、最終的にどの刑に処した?
カエサルは捕らえた海賊をペルガモンの獄につないだ。アシア属州の総督は処刑の命令を拒み、奴隷として売ろうとしていた。
暗殺の前夜に悪夢を見て、カエサルに元老院への出席を避けるよう伝えた妻は?
ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスの娘で、最後の妻である。カエサルは結局、デキムスの忠告を受けて出席することにした。
カエサルと並び、ラテン文学の散文における双璧とされる人物は?
カエサルは政務官であると同時に文筆家でもあった。19世紀ドイツの歴史家モムゼンは、彼をローマが生んだ唯一の創造的天才と評している。
カエサルが遺言状で第一相続人としたオクタウィウスの続柄は?
当時18歳で、後に初代ローマ皇帝となる人物である。遺言状は暗殺の数日後に開封され、第二相続人にはデキムス・ブルトゥスが指名されていた。
海賊に身代金20タレントを要求されたカエサルが、自ら求めさせた額は何タレント?
カエサルは囚われている間も恐れることなく、尊大に振る舞ったという。身代金が支払われて釈放されると、すぐに海軍を招集して追跡した。
ポンペイウスに嫁ぎ、紀元前54年に死去したカエサルの娘は?
彼女の死を受けて、夫はカエサルと距離を置くようになり、三頭にとって共通の政敵だった人々に接近した。
紀元前75年、カエサルが修辞学の権威に師事するため赴いた島は?
師事した相手はアポロニウス・モロンである。カエサルには弁舌の才能もあったが、その努力を政治や軍事の方面に向けたという。
カエサルは元老院の定員を600名から何名に増やした?
属州民に議席を与えたためである。機能不全に陥っていた民会や護民官も、単なる追認機関となって有名無実化した。
紀元前44年のルペルカリア祭で、カエサルに月桂樹を奉じた人物は?
奉じられたときの市民の拍手はまばらで、カエサルが押し戻すと大変な拍手が起きた。カエサルはカピトル神殿へ捧げるよう指示したという。
紀元前45年3月、カエサルが勝利して一連のローマ内戦を終結させた戦いは?
相手は、ヒスパニアへ逃れていたラビエヌスや、ポンペイウスの遺児の兄弟らであった。
紀元前81年、若きカエサルが艦隊調達の交渉で長期間滞在した王国は?
カエサルはアシア属州を担当していたプラエトルのもとに派遣されていた。同じ頃のミュティレネ包囲戦では「市民冠」を授与されている。
元老院での討論中、小カトが陰謀の証拠と疑ったカエサル宛のメモの正体は?
差出人は小カトの姉セルウィリアだった。中身を知った小カトは、それをカエサルに投げつけて演説を続けたという。
紀元前47年8月、カエサルがゼラの戦いで破った相手は?
カエサルは6月にエジプトを発ち、ポンペイウスの勢力下だったシュリアやキリキアを抑えつつ進軍した。