ラーマーヤナの豆知識30選
新しいことを覚えたら、クイズで力試し。
英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
全部知ってた?クイズで証明しよう。
30問のクイズに挑戦『ラーマーヤナ』と並ぶインド2大叙事詩のもう一方は?
どちらも古代インドの大長編で、ヒンドゥー教の聖典の一つにも数えられている。
ラーヴァナ討伐のためダシャラタ王の王子として生まれた神は?
当時、世界はラークシャサの王の脅威に苦しめられていた。ラーマ王子はこの神の化身とされる。
魔術師マーリーチャが化けてシーターの気を引いた動物は?
シーターが捕らえてほしいとせがみ、夫たちがそばを離れた隙にラーヴァナにさらわれた。
『ラーマーヤナ』を編纂したとされる詩人は誰?
成立は紀元3世紀頃とされ、ヒンドゥー教の神話とコーサラ国の王子の伝説がまとめられた。
追放されたラーマにシーターとともに付き従った弟は誰?
ラーマは追放の願いを快く受け入れて王宮を出た。付き従った弟はスミトラー妃の子である。
インド以外で『ラーマーヤナ』が深く浸透している地域は?
絵画、彫刻、建築、音楽、舞踏、演劇、映画など多くの分野に影響が及び、王権を強調する思想は民衆にも親しまれている。
ラーヴァナを討ったラーマがシーターとともに帰還した都は?
帰還の前に、ラーマは投降してきた人物をランカーの新たな王に据えた。
ハヌマーンが果物と間違えて持ってこようとしたものは?
天へ上ったところをインドラのヴァジュラで顎を砕かれたといい、顎が変形した顔で描かれることが多い。
ラークシャサは仏教で何と呼ばれる?
その王ラーヴァナの居城は、海を越えた島にあったとされる。
ダシャラタ王がカイケーイー妃に叶えると約束した願いはいくつ?
どんな願いでも叶えるという約束だったため、王は妃の求めを退けられなかった。
追放先の森でラーマが親交を結んだ鳥王は誰?
のちにシーターがさらわれた際には止めに入ったが、ラーヴァナに倒された。
シーターが捕らわれたランカーは、どの島のこととされる?
南へ向かった捜索隊が、サムパーティからその居場所を教わった。「ランカー」は島を意味する。
ラーマが王宮を去った後、父ダシャラタ王はどうなった?
追放は妃との古い約束に縛られた結果で、王みずからが望んだものではなかった。
ラーマの妻シーターの父であるミティラーの王は誰?
ラーマは聖賢ヴィシュヴァーミトラのお供をしてこの王を訪ね、そこで王の娘と出会って結婚した。
シーターが聖者のもとで生んだラーマの2人の子の名は?
シーターは王宮を追われた後、聖者のもとに身を寄せて暮らしていた。
ダシャラタ王の妃のうち、ラーマ王子を生んだのは誰?
ほかの妃からも王子が生まれ、ラーマには3人の弟がいた。
ラーマがスグリーヴァのために倒した猿王は誰?
スグリーヴァはこの恩に報いるため、全世界にシーターの捜索隊を派遣した。
兄ラーヴァナにシーターを奪うようそそのかしたのは誰?
ラーマが森を徘徊していたラークシャサを追い払ったことをうらんでの行動だった。
カイケーイー妃に仕え、ラーマへの疑いを抱かせた侍女は誰?
ラーマの即位を知ると妃に猜疑心を起こさせ、実子バラタ王子の即位を王に願うよう説得した。
妻の貞潔を疑う噂を知って苦しんだラーマ王がとった行動は?
噂のもとになったのは、妻がラーヴァナに捕らわれていたことだった。
カイケーイー妃の願いでラーマが追放された森はどこ?
ラーマはこの追放を快く受け入れ、妻と弟を伴って王宮を出た。
シーター返還を主張し、のちにラーマ軍へ投降したのは誰?
主張が聞き入れられなかったための投降で、戦争の後にはランカーの王とされた。
『ラーマーヤナ』が元になったタイの民族叙事詩は?
インド文化を古くから取り入れてきた周辺の国々には、この物語が深く浸透している。
子のないダシャラタ王が王子誕生を祈って催した祭は?
折しも世界は魔王の脅威に苦しめられており、この盛大な祈願が英雄の誕生につながった。
ランカーでハヌマーンを捕らえたのは誰?
捕らえられたハヌマーンは自ら束縛を解き、都市を炎上させて帰還した。
ハヌマーンの母とされる天女は誰?
母の名にちなんで「アンジャネーヤ」とも呼ばれる。父はヴァーユ神とされる。
『ラーマーヤナ』の核心部分とされるのは第何巻から第何巻?
この部分の成立は紀元前4-5世紀頃とされ、最初の巻と最後の巻よりも古い。
漫画『神話大戦』で「ラーマーヤナ編」を描いた漫画家は?
「ラーマーヤナ編」は上下巻で、1996年に徳間書店から刊行された。
ラーマがヴァナラ族のスグリーヴァと親交を結んだ山は?
スグリーヴァは王国を追われた身で、ラーマの助けを得たのち各地の猿を召集して恩に報いた。
日本に『ラーマーヤナ』の説話を最も早く伝えた説話集は?
仏教説話集の一つで、インドの大叙事詩の物語が古くから日本にも届いていたことを示している。