英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
アウグストゥスは、カエサルの養子として内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一した初代ローマ皇帝。元首政を創始し、後にパクス・ロマーナと称される時代の礎を築いた。 このクイズでは、幼少期と名前の由来、三頭政治と数々の戦い、帝政の始まり、そして晩年の後継者問題までを出題する。 やさしい問題から歴史好き向けの難問までそろえた。
全30問の答えと解説。クイズで遊ぶ
Q 01アグリッパ・ポストゥムスの追放後、明確にアウグストゥスの後継者とされたのは?
ティベリウス
血のつながりはないが能力は卓越していた。長く「最後の保険」的な扱いをされ続けた末の指名だった。
Q 02アウグストゥスが併合した、エジプトを支配していた王朝は?
プトレマイオス朝
アントニウスとクレオパトラが相次いで自害して王朝は滅亡し、1世紀に及ぶ内戦の時代が終結した。
Q 03「アウグストゥス」という称号はラテン語で何を意味する?
尊厳ある者
欧米諸国では「8月」の語源にもなっている。当初の名はオクタウィウスで、成長とともに幾度か名前を変えた。
Q 04初代ローマ皇帝アウグストゥスの出生時の名は?
ガイウス・オクタウィウス
生後すぐにトゥリヌスというあだ名がつき、アントニウスは大人になった彼をこの名で呼びつけたという。
Q 05紀元前38年1月にオクタウィアヌスが妻に迎えた女性は?
リウィア・ドルシッラ
前夫の死後は、その息子たちも引き取った。彼女の懇願を受けて、幾度か死刑を追放に免じたという。
Q 06オクタウィアヌスとアントニウスがブルトゥスらを破った決戦の地は?
フィリッピ
体調不良で十分な指揮を執れず、軍功著しいアントニウスに名声で差を付けられたが、カエサルの復讐を果たして立場を強めた。
Q 07紀元前27年1月、オクタウィアヌスが元老院で宣言したのは何への復帰?
共和制
このとき放棄した特権は内戦時の非常大権で、すでに有名無実化していた。本国を直接支配する執政官職は手放さなかった。
Q 08スキピオ・アフリカヌスも帯びた、元老院内の第一人者を表す称号は?
プリンケプス
オクタウィアヌスは紀元前29年にローマへ凱旋してこの称号を得た。帝政下では元首、つまり皇帝を指すようになった。
Q 09アウグストゥスの母アティアは、カエサルから見て何にあたる?
姪
父は騎士階級に属していた。姉には小オクタウィアがいる。
Q 10紀元前2年に元老院がアウグストゥスへ贈った称号は?
国家の父
ラテン語ではパテル・パトリアエ。死後の最終的な称号の末尾にも置かれている。
Q 11セクストゥス・ポンペイウスが抵抗の拠点とした島は?
シチリア島
彼はポンペイウスの遺児。強力な海軍を有し、海上封鎖でローマを深刻な食糧不足に陥れた。
Q 12カエサルが神となった証だと大衆が解釈した、祭事中の空の現象は?
彗星
オクタウィアヌスがカエサル家の氏神を讃える祭事を取り仕切っていた時の出来事で、彼が後継者と認められた証ともされた。
Q 13アウグストゥスに始まる帝政前期の政治体制は何と呼ばれる?
プリンキパトゥス
「元首政」と訳され、後のディオクレティアヌスに始まる専制君主制と区別される。
Q 14ルキウス・アントニウスがフルウィアと共に籠城した要塞都市は?
Q 21アウグストゥスが紀元14年8月に崩御した、ポンペイ近郊の町は?
ノーラ
胃腸を患い、75歳だった。崩御の直前には、追放したアグリッパ・ポストゥムスを極秘訪問したという。
Q 22アウグストゥスが養子とした継子に、さらに養子とさせた甥は誰?
ゲルマニクス
アウグストゥスと血が繋がる人物で、これにより次の次の後継者まで定められた。
Q 23キケロが元老院でアントニウスを非難した演説の名は?
『ピリッピカ』
第三演説ではオクタウィアヌスをローマの守護者と称揚し、共和派への取り込みを図った。
Q 24紀元前7年、アウグストゥスは首都ローマをいくつの行政区に分割した?
ペルージャ
激しい攻囲戦の末、紀元前40年3月頃に陥落した。二人はイタリアから追放されている。
Q 15カエサルが暗殺された時、オクタウィアヌスが修練に励んでいた地は?
アポロニア
予定されていたパルティア遠征に備え、弁論と軍務を学んでいた。知らせを受けて急遽ローマへ帰還した。
Q 16アウグストゥスが当初後継者として目をつけた、姉オクタウィアの子は?
マルケッルス
一人娘のユリアを嫁がせたが、紀元前23年に死亡した。ユリアはその後、腹心アグリッパと再婚している。
Q 17オクタウィアヌスが祖母ユリアの追悼演説を行ったのは何歳の時?
11歳
演説の場はフォロ・ロマーノで、これが歴史の表舞台への最初の登場となった。
Q 18失脚したレピドゥスが、助命の際に保証された地位は?
最高神祇官
オクタウィアヌスは買収と宣伝で麾下の将兵を離反させて失脚に追い込み、助命することで自身の寛容さを誇示した。
Q 19オクタウィアヌスは誰からアントニウスの遺書を奪って開封した?
ウェスタの巫女
遺書には、墓をアレクサンドリアに立て、クレオパトラと共に葬られるべきことが書かれていた。元老院もこれを受けてアントニウスを見限った。
Q 20アウグストゥスが執政官を辞任する代わりに付与された権限は?
護民官職権
1年限りだったが、以後は例年更新された。身体不可侵権はすでに保持しており、法案への拒否権などがこのとき加わった。
14区
それまではポメリウムの内外程度しか区分がなく、分割によって各区の行政上の責任が明確になった。
Q 25紀元前34年、アントニウス配下のローマ軍が攻撃し国王を捕虜とした王国は?
アルメニア
捕虜となった国王はアルタウァスデス2世。アントニウスはこの遠征の成功により、アレクサンドリアで凱旋式を行った。
Q 26オクタウィアヌスが両執政官と共にアントニウスを破った戦いは?
ムティナ
ヒルティウスとパンサの両執政官は戦死した。その軍団を手中に収めたため、暗殺だったとの噂が流れたほどである。
Q 27紀元前36年9月、アグリッパが決定的勝利を挙げたのはどこの沖の海戦?
ナウロクス
敗れたセクストゥス・ポンペイウスは東方に逃れ、アントニウス派のマルクス・ティティウスに捕らえられて処刑された。
Q 28国家再建三人委員会が大規模な粛清のために告示したものは?
プロスクリプティオ
共和派の根絶と戦費調達が目的で、キケロをはじめ多くの元老院議員や騎士が犠牲となった。
Q 29紀元前44年、オクタウィアヌスがカエサルの古参兵を募った地方は?
カンパニア
多額の報酬と宣伝で兵力を集め、アントニウスがマケドニアに赴いた不在を突いてローマ市内へ進駐した。
Q 30紀元前43年10月、第二回三頭政治を成立させた会談の地は?
ボノニア
会談では、5年任期で独裁官と同等の権限を持つ国家再建三人委員会の創設が決まった。