英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
ヨーロッパ史は、古代ギリシア・ローマから中世の封建社会、ルネサンスと宗教改革を経て、絶対王政、市民革命、二つの世界大戦、そして冷戦の終結へと続く壮大な物語です。古代・中世・近代という時代区分そのものが、ヨーロッパの歴史を読み解くために考え出されたものでした。 このクイズでは、時代区分の境界とされる出来事や地域区分の考え方に加え、絶対王政の象徴であるフランス王ルイ14世の生涯を深掘りします。幼くして即位した王を支えた宰相、フロンドの乱、コルベールの重商主義、ヴェルサイユ宮殿の造営、ナント勅令の廃棄、スペイン継承戦争、そして歯を全て抜かれた逸話まで幅広く出題します。 世界史の授業を思い出しながら、ヨーロッパの歴史をどこまで覚えているか試してみてください。
全30問の答えと解説。クイズで遊ぶ
Q 01フランス王ルイ14世の異名として知られる呼び名は?
太陽王
宮廷舞踊で太陽神アポロンに変装して踊った姿に由来するとも言われる。ブルボン朝の最盛期を築いたことから「ルイ大王」とも呼ばれた。
Q 02ルイ14世の絶対王政を象徴する言葉として知られるのは?
「朕は国家なり」
17歳の王が狩猟の帰りにパリ高等法院へ立ち寄り、法服貴族たちを恫喝して言い放ったとヴォルテールが記したが、現代の研究では実際に発した言葉ではなく創作と考えられている。
Q 031990年代以降、近代の枠組みの終点とされることが多い年は?
1989年
この年のベルリンの壁崩壊とそれに伴う冷戦の終結が区切りとされる。東西冷戦は、ソ連消滅とドイツ再統一とともに終結した。
Q 04ヨーロッパ史で古代と中世の境界とされる出来事は?
西ローマ帝国の滅亡
中世に入るとフランク王国とその後継である分裂国家、そして中世国家の誕生によってヨーロッパの基礎が作られ、国王と諸侯、貴族と奴隷による封建社会として存続した。
Q 05ルイ14世は何歳でフランス王に即位した?
4歳
父王ルイ13世は王妃を信用しておらず、死後に王妃が国政に影響力を持たないよう摂政諮問会議の設置を遺言したが、母后アンヌはパリ高等法院の支持を得てこの遺言を破棄した。
Q 06現在、ヨーロッパ史の時代区分として一般的なのは何区分?
4区分
歴史学の研究が進む中で中世と近代の間に「近世」を挟む提案がなされ、広く受け入れられた。近世から近代への境界には市民革命、特にフランス革命と産業革命が置かれる。
Q 07幼いルイ14世を補佐してフロンドの乱を鎮圧した宰相は?
ジュール・マザラン
リシュリューの腹心だった人物で、イタリア出身ながらフランスに帰化していた。有能な政治家だったが貪欲なまでに私財を蓄える癖があり、民衆にも貴族にも憎まれた。
Q 08中世ヨーロッパを最初に支配し、のちに東・中・西に分裂した王国は?
フランク王国
その後継国家のひとつである東フランク王国からは、ドイツ地域の帝国である神聖ローマ帝国が生まれた。オットー大帝や金印勅書、大空位時代はその歴史の節目である。
Q 091665年にルイ14世が財務総監に任命した人物は?
ジャン=バティスト・コルベール
保護関税によって輸入を減らし輸出を増やす政策をとり、その王室的重商主義はコルベール主義と呼ばれる。1669年には海軍卿にも就任し、フランスを海軍大国に押し上げた。
Q 10ヨーロッパ史で中世と近世の境界に挙げられる出来事は?
東ローマ帝国の滅亡
この境界にはほかにルネサンス、大航海時代、宗教改革も挙げられる。近世には王権神授説や重商主義、国王の常備軍を柱とする絶対王政が栄えた。
Q 11近世ヨーロッパで栄えた絶対王政の柱とされる3つは?
王権神授説・重商主義・常備軍
近世にはルネサンス(古代復興)、宗教改革(プロテスタントの誕生)、大航海時代(新航路、新大陸の発見)という3つの大きな出来事が起きた。
Q 12古代・中世・近代の3区分法を考え出したのはどの時代の人文主義者?
ルネサンス
人文主義者たちは古代ギリシア・ローマを理想とし、自分たちの時代をその文明の再生、その間の中世を文明が中断された「暗黒時代」と捉えた。今日では中世を暗黒時代とみなす歴史学者は皆無である。
Q 13ルイ14世の在位期間はフランス史上最長の何年?
72年
「中世以後の国家元首として最長の在位期間を持つ人物」としてギネス世界記録にも認定されている。啓蒙思想家ヴォルテールはその治世を「大世紀」と称えた。
Q 141980年代まで「現代」の始まりとされるのが一般的だった出来事は?
Q 21王妃の死後、ルイ14世が秘密結婚した寵姫は?
マントノン侯爵夫人
詩人ポール・スカロンの未亡人で、王の庶子たちの養育係を務めていた。結婚時に王は46歳、彼女は3歳年上の49歳で、以後王の女性遍歴は止んだとされる。
Q 22ルイ14世が宮廷舞踊に取り入れ、最初に踊ったとされる舞踊は?
メヌエット
バレエにも魅せられた王は1651年に15歳で舞台デビューし、1670年に引退した。脚の5つの基本ポジションが定められ、バレエが体系づけられたのは彼の時代の功績とされる。
Q 23スペイン継承戦争でルイ14世が1713年にイギリスと結んだ条約は?
ユトレヒト条約
この講和でフェリペ5世のスペイン王位は承認されたが、ネーデルラントや北イタリアなどのスペイン領はオーストリアに譲られ、イギリスはジブラルタルの獲得と北アメリカ植民地の拡大を果たした。
Q 24フロンドの乱が勃発したのは何年?
第一次世界大戦の開始
1990年代以降は、ベルリンの壁崩壊とそれに伴う冷戦の終結までを近代の枠組みの中で捉えることが多くなっている。
Q 15「中央ヨーロッパの歴史」が広義に指すのはどの言語圏の歴史?
ドイツ語圏
ヨーロッパのほとんどの国は陸続きで、民族の移動や侵入の歴史でもあるため民族の区分が現在の国境と合わず、日本では馴染みやすい「国民史」の概念では捉えきれない。
Q 16現在の「イギリス」が形成され始めたのはいつごろ?
18世紀中ごろ
それ以前は「イングランド王国」であり、全てをイギリスとして捉えるとスコットランドやウェールズ、アイルランドの歴史を無視することにつながりかねない。
Q 171685年にナント勅令を廃棄するためにルイ14世が発した勅令は?
フォンテーヌブロー勅令
プロテスタントの礼拝を禁止し、改宗に応じない牧師の国外追放を定めた。迫害は内外の非難を招いてフランスを孤立させたが、大多数を占めるカトリックのフランス人からは喝采を浴びた。
Q 181659年にフランスとスペインの国境を確定した条約は?
ピレネー条約
この条約でルイ14世はスペイン王女マリー・テレーズと婚約した。当時の王はマザランの姪マリー・マンチーニと恋仲で結婚を拒んだが、国益のため無理やり別れさせられた。
Q 19ルイ14世が正式に王宮をヴェルサイユに移したのは何年?
1682年
狩り場の小館があった土地での宮殿建設は水利が悪く難航した。それまでの宮廷はフォンテーヌブロー宮やルーヴル宮などを転々とする「移動する宮廷」の伝統に従っていた。
Q 20ルイ14世の遺体が埋葬された場所は?
サン=ドニ大聖堂
法に従えば甥のオルレアン公フィリップ2世が幼いルイ15世の摂政となるはずで、放蕩者の評判を嫌った王は遺言で彼の権力を制限しようとしたが、オルレアン公は高等法院に働きかけて遺言を破棄した。
1648年
政府の新税導入に反対したパリ高等法院が27カ条の要求書を出し、首謀者の逮捕に反発した民衆がバリケードを築いて蜂起した。若き王と摂政アンヌはパリを脱出することになる。
Q 25ルイ14世が死の床で幼い王太子に残した訓戒は?
「私の真似をしてはならない」
嫡出子のほとんどが幼少期に死に、唯一成年に達した王太子ルイも1711年に薨御。さらに孫、曾孫にも先立たれ、生き残った曾孫が5歳でルイ15世として即位した。
Q 26ルイ14世の親政開始を象徴する事件で断罪された大蔵卿は?
ニコラ・フーケ
マザランの腹心の一人で有能だったが、職権を利用して莫大な私財を蓄えていた。これを知った王は激怒して彼を逮捕・投獄した。
Q 27ルイ14世がスペイン王フェリペ5世として即位させた孫は?
アンジュー公フィリップ
死の床にあったカルロス2世は領土不分割を条件に彼を王位継承者に指名した。受諾を喜んだスペイン大使は「ピレネーはもはや存在しない」と語ったという。
Q 281715年、ルイ14世の崩御の原因となったのは?
壊疽の悪化
77歳の誕生日の数日前のことだった。晩年は重税に苦しむ民衆の困窮が極まっており、民衆は老王の崩御を歓喜して葬列に罵声を浴びせた。
Q 29ナント勅令の廃棄後、国外へ亡命したユグノーはおよそ何人?
約20万人
亡命者には多くの手工業者や商人が含まれていた。ルイ14世は亡命者を受け入れたサヴォイアに兵を送って虐殺まで行わせ、国内に残ったカミザールの乱も武力で鎮圧した。
Q 30コルベールが東インド会社の長官に据えた元日蘭貿易の商館長は?
フランソワ・カロン
亡命新教徒だった彼を引き抜いたのは、海軍力の保護のもとでイギリス・オランダの海外市場に割り込む狙いからだった。カリブ海を対象とした西インド会社も再創設されている。