英語版クイズをもとにAIで日本語で作成しました。出典は日本語版ウィキペディアにリンクしています。
ムンバイはインド西海岸に面した港湾都市で、かつてはボンベイと呼ばれた。小さな島々が埋め立てでつながり、東インド会社の拠点、綿花貿易の港、そして国内随一の商業と娯楽の中心へと姿を変えてきた。 このクイズでは、植民地時代の歴史から地理や気候、世界遺産の建築や石窟寺院、映画産業、クリケットまで幅広く出題する。やさしい問題から通好みの難問までそろえた。
全30問の答えと解説。クイズで遊ぶ
Q 01ムンバイを州都とするインドの州は?
マハーラーシュトラ州
行政機関が集積するだけでなく、インドを代表する金融センターでもあり、和名では孟買と書く。
Q 02ムンバイの映画産業を指す「ボリウッド」は、どの地名をもじった名称?
ハリウッド
街の旧名「ボンベイ」と組み合わせた呼び名で、国内の主要なテレビ局や出版社もこの街に拠点を置いている。
Q 03ボリウッド映画の代名詞と言える、作中に数多く挿入される場面は?
歌って踊るシーン
内容は多岐にわたり、ロマンスだけでなく貧困や格差といった社会問題をテーマにした深い作品も多い。
Q 04ムンバイで制作される映画に多いのは、何語の作品?
ヒンディー語
市内で話者が最も多い母語は州の公用語であるマラーティー語で、2011年の国勢調査では35.4%を占めた。
Q 05ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅の旧称は?
ヴィクトリア・ターミナス
1878年から約10年をかけて建設された駅舎で、2004年にユネスコの世界遺産に登録された。
Q 06英領インド時代のボンベイに名が由来する「ボンベイ・サファイア」は何の酒?
ジン
「サファイア」は著名な宝石「スター・オブ・ボンベイ」にちなみ、特徴的な青いボトルもこの宝石から着想を得ている。
Q 07ムンバイ出身の著名なクリケット選手として挙げられるのは?
サチン・テンドルカール
国際クリケットで数々の記録を残し、その業績から「クリケットの神様」とも評されている。
Q 081534年にムンバイの地を譲り受け、「Bombaim」と呼んだ国は?
ポルトガル
グジャラート・スルターン朝のバハードゥル・シャーから譲り受け、ゴアの補助港としてこの地を支配した。
Q 09ムンバイの「マニ・バヴァン」を1917年から1934年に拠点とした人物は?
マハトマ・ガンディー
ムンバイ滞在時の拠点として使われた建物で、現在はこの人物に関する博物館・研究施設となっている。
Q 10英語での公式名称がボンベイからムンバイへ変更されたのは何年?
1995年
新名称は現地語のマラーティー語での呼び名にもとづく。2016年には、旧称を使い続ける方針を表明した英紙もあった。
Q 11ムンバイ港の島にあるエレファンタ石窟群が中心に祀る神は?
シヴァ神
ヒンドゥー教の石窟寺院群で、1987年にユネスコの世界遺産に登録された。
Q 12ムンバイで降水が集中するモンスーン期は、主に何月から何月?
6月から9月
年間降水量は2250.7mmに達する。ケッペンの気候区分ではサバナ気候に属し、年平均気温は27.9℃である。
Q 13ボンベイの島々は、1817年から1845年のどんな事業で接続された?
干拓事業
18世紀以降のホーンビー・ヴェラードなどが代表例で、旧ボンベイ島は現在、南へ延びる半島状の地形になっている。
Q 141661年、ボンベイは何としてイギリス側に譲渡されることになった?
Q 211853年、ボンベイとの間にインド初の旅客鉄道が開通した都市は?
ターネー
当時はターナーと呼ばれた北郊の都市で、現在はムンバイの衛星都市として発展している。
Q 221885年にボンベイで第1回大会が開かれた組織は?
インド国民会議
インド人資本家による経済の発展が労働運動や民族運動を生み、その後もボンベイでは活発な民族運動が続いた。
Q 232011年のクリケット・ワールドカップ決勝が行われたムンバイの競技場は?
ワンケード・スタジアム
この決勝でインド代表は2度目の優勝を果たした。IPLのムンバイ・インディアンスの本拠地でもある。
Q 24インド綿への需要を高め、ボンベイの綿花貿易を発展させた戦争は?
王女の持参金
カタリナ王女とチャールズ2世の結婚に伴う取り決めだったが、実際の引き渡しは遅れ、イギリス側の占有は1665年になった。
Q 1516世紀のボンベイ一帯は、いくつの島からなっていた?
7つ
北からパレル、マヒーム、ウォルリ、マザガオン、ボンベイ、小コラバ、コラバと並んでいた。
Q 16ムンバイのカーンヘーリー石窟群は、どの宗教の石窟群?
仏教
石窟の数は109にのぼり、紀元前1世紀頃から10世紀頃までに造営された。
Q 17「ムンバイ」という名は、何に由来するとされる?
地元の女神の名
その名はムンバデーヴィーといい、地元で信仰されている。英語の公式名称も、現地語での呼び名にもとづいて改められた。
Q 181960年のボンベイ州分割で、北部に誕生した州は?
グジャラート州
言語ごとに州を再編する政策でボンベイの帰属が問題となり、他の言語州より4年遅れての分割となった。
Q 19ムンバイ北部にあり、自然保護区域となっている国立公園は?
サンジャイ・ガンディー国立公園
面積は約103 km²で、インドヒョウやアクシスジカ、ヌマワニなどの野生動物や多くの鳥類が生息している。
Q 20ムンバイのインド門は、どの英国王のインド訪問を記念して建設された?
ジョージ5世
メアリー王妃を伴った1911年の訪問を記念したもので、完成は1924年。ムンバイ港に面して建っている。
アメリカ南北戦争
アメリカからイギリスへの綿花供給が減ったためである。ボンベイでは1850年代から綿紡績工場が数多く建設されていた。
Q 251982年のボンベイで25万人以上がストライキを行ったのは、何の工場の労働者?
繊維
ダッタ・サマントが主導した大規模なストライキで、これを契機の一つとして街の基幹産業は衰退していった。
Q 26「ボンベイ型」と呼ばれる非常に稀な型が存在するのは、何の型?
血液
H抗原を欠くのが特徴で、1952年にボンベイで初めて発見・報告されたことからこの名が付いた。
Q 271687年、東インド会社はどこからボンベイへ主要拠点を移した?
スーラト
同じ地から会社の海軍や造船所も移され、18世紀末のボンベイはインド最大の造船業を持つまでになった。
Q 281985年の選挙で国民会議派を破り、ボンベイ市議会の与党となった政党は?
シヴ・セーナー
マラーティー民族主義を掲げて勢力を拡大した政党で、市の呼称をムンバイへ変更する運動を展開した。
Q 291820年代、ボンベイ財界が支持した英印間の汽船航路は?
スエズ地峡ルート
カルカッタ財界が推す案との競争に勝ち、1837年に定期蒸気船航路が開設された。これによりボンベイはインドの玄関口となった。
Q 302016年、旧称「ボンベイ」を使う方針を編集長が表明した英紙は?
インディペンデント
アモル・ラジャン編集長がBBCラジオで表明した方針で、改称をヒンドゥー・ナショナリズムと関連づけて説明した。